片山貴夫のブログ

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雑用紙の覚書 2


日本の新旧「左翼」関係者の多くは、流行語を語っているだけで、内面化された価値観、信条がありません。


諜報(インテリジェンス)国益論、小沢一郎(旧田中派系)擁護論、(保守政治家を汚職捜査から防衛する)「国策捜査」論、(階級闘争抜きでの)格差社会論、(右翼勢力との)国民戦線論…これらは皆、米帝衰退後の日本帝国主義生き残りを模索する支配階級‐労働貴族組合の潮流に符合する。これを暴露し、撃滅するために闘うことは真の階級闘争の一環である。



このままでは、日本の階級闘争が根絶されるだけに留まらず、近隣諸国民の階級闘争も抑圧しようと、日本が再び莫大な災厄をもたらそう。タハリール広場の中東革命を、「左翼」も含む欧米帝国主義がリビア「民主化支援」侵略戦争にねじ曲げようとしているように、中国朝鮮人民が階級闘争に目覚めた時、(日本国民は皆のぼせあがり)日本も同じ事をしよう。


<検察の暴走>を声高に唱えている佐藤優が、一方で、(検察よりも恐ろしい行為・結果を招くことは明らかである)情報機関によるスパイ活動を「インテリジェンス」として積極的に認めていることに欺瞞を感じていない「ジャーナリスト」および読書人は、知的に崩壊している。


一般市民と異なり、政治家や高級官僚の場合、無罪であることの挙証責任は本人の側に有るはずです。
「左翼」ヅラした「ジャーナリスト」の一群が、『週刊金曜日』などで、堕ちた保守政治家の言い分を一方的に垂れ流し、口先で検察を批判し、それが、あたかも「反体制」であるかのように世間を欺く。
「国策捜査」=冤罪ではない(我われにとっては本来、支配階級内部の内ゲバ)のです。
佐藤優に続き鈴木宗男の有罪が確定しています。「国策捜査」論をキャンペーンしていた青木理らは、再審請求―していない―に協力するのでしょうか?鈴木宗男、佐藤優の冤罪を証明できるような証拠を取材で得られなかったのであれば、青木理らは、タダのプロパガンダ従事者であったという事です。


要するに、どこかの「左翼」・「アナーキスト」崩れの考えたような、不遜かつ不浄な心情;「国を憂える者に、左右を弁別するいわれはなく」、「国士には法の垣根を越える権利があるのだ」という心情を、火遊び的に玩んだ「ジャーナリスト」が、『世界』、『金曜日』の関係者だということです。


(良い事のように勘違いしている人間の方が多いだろうが)人民戦線そのものが国民戦線なのである。スペイン人民戦線政府は、植民地モロッコの独立を認めなかった(その結果、モロッコ人はフランコの側に動員された)。


企業献金よりも、「企業献票」や「企業献人」の方が、よりいっそう極悪非道な行為なので、こちらから厳禁するべきだと思う。選挙運動時間分の賃金を会社が出すにせよ、労働者階級を"精神的にも"奴隷化する行為である事は確かなので、革新政党が一刻も早く厳禁法案を国会に提出するよう心から望む。


岩波書店の古典に対する扱いについては腹が立った。
(イエズス会創立者)ロヨラ『霊操』(岩波文庫1995年)。多くの初学者は禅宗もカトリックも知らないのに、禅宗とない混ぜにした「解題」「解説」を付けている。
これでは、変なバイアスを吹き込まれる事が心配で、とても安心して読めない。


支配階級同士の権力闘争で、その片方に労働者階級が加担する事は出来ない。労働者階級の政治的独立性の否定である。


階級闘争が亡くなり労働運動がダメになると、社会のあらゆるもの・文明がダメになる(退廃する)。学術にもその影響が及んでいる。


「右も左もない」と言う知ったかぶりが大きな顔して語ることをこのまま許しておくならば、「進歩/反動」という概念じたいが否定され、行き着く先は、「善悪」のけじめも必要が無いということにされるだろう。佐藤優現象に限らず、ポストモダニズムというものに、そういう要素があるのかもしれないが。


3.11までは反原発運動を本気でしてきた政治勢力は無いのに、選挙で「原発」を前面に出す事は倫理的に許されないと思う(厚顔無恥な社民党・「緑」等はそうする筈)。「この問題については二度と妥協しない・裏切らない。全原発の運転を即時停止させる」との誓約書を(最低限)候補者に提出さすべきだ。


残念ながら近年は、「反格差」だけを言えば「左翼」の顔が出来る時代です(最近は、「反原発」で人民戦線が流行。あるいは旧左翼でも「反米」で「小沢一郎同情論」という情けない態度が目立ってきた)。「反格差」だけでは帝国主義社民です。
労働者階級的倫理が伝承されなければ文明自体が没落します。


元々「戦後」日本の「リベラル・左派」の多くが"体制の補完物"だった。社会が右傾化した―というよりもむしろ、"危険な存在"ではない事に大衆が気づいてしまった―という事だ。それでも(それだからこそ、ソ連が無くなったので遠慮無く)支配階級は、一切の階級闘争及びその獲得物を火種まで執拗に根絶しようとする。


帝国主義や差別の構造を問わない「反基地」運動は、平和でも反戦でもない。
日本の植民地だったミクロネシアに米軍基地を移設しろと、社民党が自ら進んで提起しているのだから階級的倫理自体が崩壊した。
私はこれで日本の反戦運動にトドメが刺されたと思っている。
しかも社民党国会議員・照屋寛徳は(日本の植民地だったミクロネシアで生まれた)植民者の2世だ!
「平和運動」の内部にも公然と「抑圧移譲」が持ち込まれるようになった。日本の植民地だったミクロネシアで生まれた植民者2世の照屋寛徳(社民党)が、日本の植民地だったミクロネシアに米軍基地を「移設」しろと叫ぶ―照屋に「沖縄差別」を語る資格は無い!戦後、琉球人は日帝支配の協力者を糾弾しなかった。


昔大学で盛んに騒いでいた若者が「志」をその後も持ち続けていたら、こんな日本にはなっていない。ビラ配りの時、何故か1人のジイさんが「俺は昔、お前らよりも権力と闘っていたんだぞぅ!」と絡んできたことがある(だったら、今もそうしろよ!)転向した全学連、全共闘・元学生の参政権など剥奪しろ!


小沢一郎に期待する・同情する愚かな「左翼」は、″今の日本″への道筋を小沢が付けた事も忘れるほどの愚か者か、又は自分の旗で闘う気力さえ無くなっているのだろう。いずれにせよ、自分の運命を強力な主人に預けることが天然になっている。″体制内の反主流派″に期待・同情するのは(水戸斉昭に期待した幕末攘夷派以来の?)日本の伝統か・・・?


信仰の無い学問教養でプライドだけ肥大したインテリ・亜インテリが、するべきこともせずに「左翼」の看板だけ掲げ続けている事ほど悪質なものは他に無い。


総連・民団、国籍の枠を越えた在日朝鮮韓国系の労働者自身によるユニオン(全く無いわけではないが、殆ど無い)が多く組織されないと(中小資本家の力による)既存団体ではもはや生き残れないと思う。このままではネオリベ社会に適合したエリート(姜尚中が関与したコリア国際学園も?)かインテリしか、民族として生き残れないかもしれない。


この国の「マルクス」読みに必要なのは、「経済学」よりも「倫理学」だ。この国の「バイブル」読みに必要なのは、「神学」その他よりも「イエス」(の生き方)だ。「志」の無い人間が「マルクス」を語って(騙って)何になる!?「イエス」(の生き方)の無い人間が「バイブル」を語って何になる!?


『週刊金曜日』もけっきょく、「小さなマスコミ」に過ぎなかったということでしょう。本多勝一もマスコミ業界などの権威カーストと手を切れなかったということでしょう。


反動的な思想家であっても、それなりに興味深く読める文章というのは有る――が、佐藤優の書く文章は、ただひたすら薄っぺらで"面白くもない"。最近に至っても、佐藤優の書いたものを評価しているとしたら、その人は、人生の内の貴重な読書時間を全く浪費している。それなら専門家による本を読む事だ。


佐藤優をもてはやすマスコミ・出版関係者は、「教養」にコンプレックスを持っているか、あるいは「教養俗物」なのだろう。いずれにせよ、人間として俗物であることは疑いない(信仰無い者に神学習ってどうする)。

佐藤優の集中ゼミ「神学講座1(組織神学の基礎)」
http://www.forum-j.com/theme-sato-shingaku01-2.html


これからの世代の寿命が短くなってしまう事が、多くの公衆の目にも明らかになった時、佐藤優に加担してきた輩および、その後継者達が、(怒りと抵抗ではなく)死と“受容”の(ハイデガーのような?)エセ哲学・思想を流行させて、「命を燃やせ」等と言って、若者を軍隊に送り込もうとするのだろう。その未来になるのは必然だ。


我々の世代で憲法の条文が変化しなくても、支配階級・体制側は長期的な展望で攻めてきている(対する我々の側は、短期的・その場限りの展望しか無いではないか!)。政権交代が第一の展望であるかのように言っていた、自称他称の「護憲派」「左派」を、今後一切信用してはならない。


条文の“文字だけ”護憲で「大同団結」するようなレベルの「運動」よりも、自衛隊に労組をつくる方が良いと思う。
"権威ある人間"が壇上から講演するだけというのが、今の「護憲運動」の多くになってしまっているのではないか?“年中行事”と変わらなくなっているのではないか?そのような運動は、戦争体験世代が死滅したら何も残らなくなるだろう。


(もちろん軍隊の労組は、現在の日本では禁止されている、それは必然で、その事は別にして)もちろん、労組が労組であるというだけでは(たとえ旗印に左派的スローガンを掲げていても)反戦的になる事は有り得ないが、それでも“軍服を着た労働者”として、全労働者と同列の立場に立つ可能性が開ける。


"対馬漁民は国境防衛の防人だ!"と(さらりと!)叫ぶ、恐るべき国権論者の阿部知子。
社民党に投票してはいけない!

社民党衆議院議員・小児科医・阿部知子のメールマガジン「カエルニュース」
375号 2010/5/23
http://abetomoko2.exblog.jp/10676806/
「山間に広がる棚田は同時に土砂崩れなどの災害から集落を守っている。普天間問題でいろんな人にお目にかかった中で、かつて対馬で漁業にたずさわっていたという青年から伺った話にハッとさせられた。対馬周辺の海は朝鮮半島や中国に近く各国の漁船が競い合って漁をしており、もしも不審な船があれば皆で取り囲むように領域内に侵入してくることを押し戻していたと言う。しかし若者が島を去り、日本の漁業がさびれていく今日、国の安全の守りは手薄くなってしまったと。漁をする人が体を張って国境を守っていたし、山の上の方まで田を耕す労苦は国土とそこで暮らす人々を守ってもきた。」


鈴木宗男の刑務所見送りに行く社民党党首の福島瑞穂!「疑惑の総合商社」から"国士"に(節操も無く)変換か!?
社民党に投票してはいけない!

宗男氏、6日に収監へ 「送り出す会」に200人
産経新聞、2010/12/02
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/470179/
「都内のホテルでは2日、鈴木氏を「送り出す会」が開かれ、鳩山由紀夫前首相や森喜朗元首相、社民党の福島瑞穂党首ら国会議員約40人を含む約200人が出席した。」


鈴木宗男を擁護する保坂展人。
総「佐藤優現象」汚染の社民党に投票してはいけない! 

保坂展人のどこどこ日記、2010年09月09日
鈴木宗男氏「失職・収監」で国策捜査の検証を
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/15996b1c92645760dbeb29b9d010e9d1


鳩山連立政権からの離脱を主張していた照屋寛徳でさえ佐藤優に諂う。
社民党に投票してはいけない!

テルヤ寛徳のブログ
2011年3月8日 11時20分 
外務大臣に佐藤優氏を推す
http://terukan.blog44.fc2.com/blog-entry-731.html


(善良な動機によるものであっても;いや、善良な動機を有する運動関係者であるからこそ、前掲事例などを致命的な事として考え)もはや"社民党への義理立て"を止めなければならない。間違っても社民党員が、「護憲派・反原発なら、自分達に投票するのが当り前」という言動をとるのを許してはならない。


「新左翼」(特に関西地方の)は、どうして社民党には甘く、選挙で応援するのか!君達は「共産党よりも左」の志を持ったからこそ、独自の旗を立ち上げたのではなかったのか!単に共産党憎しで、「敵の敵は味方」というご都合主義なのか!?又、全体の水準が堕ちている時世に「よりまし」論は通用し難い。


議会選挙を不成立に追い込む力量があれば選挙ボイコットがベストだが、そうでないなら白票を投じよう。―なんとかギリギリ許容範囲といえる新社会党(の中でも、マトモな原則的部分)は、独自の旗で比例候補にも出ないし。反執行部派の江原栄昭氏ですら、小沢一郎に期待しているようでは期待できない。


ドイツの「緑の党」が平和主義を放棄したことを無視し、「反原発」の権威付けとして日本に招聘する(週刊新社会でも掲載)のは、労働者階級的倫理に反する利用主義ではないのか?

(水島朝穂ホームページ参照)
見過ごせない軍事介入――リビア攻撃とドイツ(1)
2011年3月28日
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2011/0328.html


元々不経済で技術としても低級な原発が維持されてきたのは、核武装の準備の為である事を無視し、単に「エコロジー」としての「反原発」に留まっていたら、必ず足元をすくわれる。思想としてのエコロジーには元々、人種主義、ナチとの結びつきがある(河出書房新社『エコロジー―起源とその展開』参照)。


(排外主義者の集まりではないにせよ)「週刊金曜日読者会」と名乗るサークルに、「日朝」の関係者も未だに参加しているのは不条理。金曜日が「左派」雑誌であるという印象を延命させ、金曜日のあり方も"許容範囲"になってしまう。「左派」が佐藤優も"許容範囲"にしてしまう事が許されてよいのか!?


「連合」の所に労働相談に行っても、マトモに相手をしない=「連合」加盟の「全国一般」を紹介する事さえしない場合がある。「連合」は本当に「労組」への悪い印象ばかり広めている。


大政翼賛会に参加していた人間が、社会党になる―というようなことを許していたから、「戦後」民主主義は最初からダメな存在だった。実質的には反原発に有害な政治選択をしてきた既存政治勢力に流行語としての「脱原発」を騙る事を許してはならない。「脱原発」で票を要求する権利があると思わせるな!


現実政治で「統一戦線」とは、(誰かが決めた)「我慢できる程度のセクト主義」のことなのである。「平等」というものが、現実には「我慢できる程度の不平等」のことであるように。


労働者階級や被差別マイノリティをあからさまに蔑視するような勢力との「統一戦線」が有り得るというのであれば、それは自らの存立基盤を否定するのと同じことだ。


「在特会」、「石原慎太郎」…など"最悪の存在"[と措定されたもの]と距離を置きさえすれば―アリバイになる、"良識ある市民"になれる―というわけで、日本社会の倒錯、内面的・精神的腐蝕は二重三重に進行し、もはや治癒不可能な域にきている。


(愚かにも)永久機関を、エネルギーの"代案"として得意げに語る者がいるが、そういう人間には、"労働および労働者階級への蔑視"が、その根底にあると思う。―科学的に協同されるほかない―"労働"よりも、"偉大な奇跡"を求めるのは、自ら労働しない(特に封建時代の)支配階級の価値観である。


憲法の条文自体は(厚顔な解釈改憲派と転向者の連中が、「日本は平和国家」という「プライド」として利用するために)、あと1世代くらいの期間残るかもしれませんが、もはや「護憲の統一戦線」という概念自体が、そのままでは意味を為さなくなっています。


「日本は平和国家」という「プライド」として「平和憲法」を受け容れる人間が「護憲派」なのではなく、「日本は国際的に保護監察中国家である」ということを受け容れる人間が護憲派なのです。憲法9条は「日本は平和国家」としての「プライド」ではなく、近隣諸国への「詫び証文」なのです。


「平和」もしくは労働者階級・マイノリティの利益を本気で考えているのであれば、(近隣諸国家との間に具体的な問題が発生すれば、すぐに沈黙か転向する!)「護憲派」自体が既に内部から崩壊しているという認識をもっともっと持つ必要があります。


ネオコン「新左翼」第四インターは荒木和博に敬称をつけ、その集会に参加していた。

かけはし2003.11.17号
北朝鮮による人権侵害――拉致と強制収容所を考える拉致救出法律家の会がシンポ
http://www.jrcl.net/web/frame031117b.html
「特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さんは…」


ネオコン化「新左翼」の「第四インター」は、荒木和博に諂う1年前は、荒木を 「日韓民衆の連帯した闘いで打ち砕かなければならない」打倒対象と(正しくも)位置づけていた。

かけはし2002.11.18
『親日派のための弁明』金完燮(キムワンソプ)著
http://www.jrcl.net/frame1114i.html


極右民社の荒木和博に取り込まれた元「反日」の大森某。
卑しい転向者!気の毒なのは、この者の矮小な権力欲の為、ダシにされて巻き添え食ったアイヌ人だ。
転向する前から吐き気のする人物であったが。
この者の為に救援運動をしていたアナキストなんか、今どうしているのだろうか。極右と共同で再審請求しているのだろうか…?

荒木和博BLOG、2007年2月 4日
大森勝久氏のホームページ
http://araki.way-nifty.com/araki/2007/02/post_3bf4.html


日本の「アナキスト」なるものの多くは、「ボルシェビキ」へのコンプレックスや、自分が(精神的に)優位に立ちたいだけが動機の連中である。
楽して知者を装えると思ったときには「左翼」面のポーズをするけれども、地金は、右翼と転向者が大々好きな連中。
ちなみに、韓国の元「アナキスト」は朝鮮戦争のとき米軍側についた(民団をつくった朴烈など)。


昔、釜が崎を無意味に放浪していて、偶然遭ったある人からいきなり言われ心に残ってる言葉。
「[団体も人名も忘れたが]xx委員長のように死ぬほど一生懸命学習しないとあかんぞ。死ぬほど勉強したらxx委員長のように、攻撃的に話ができるようになるんや…」と。
そうしてこなかった事を恥じてる。


Jan Joosten van Loodensteijn

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