片山貴夫のブログ

岡山から発信します。

岩波書店は今度こそ佐藤優と手を切るのか?

 ボイコットで週刊金曜日+岩波書店を廃業に追い込もう!

 ①金曜日+岩波を誉めない:(サークルなどに)『週刊金曜日』(岩波も)の名を冠するのは止めること、など。
 ②金曜日+岩波を買わない:必要な記事は、図書館でコピーするか、古書店で買うこと、など。
 ③金曜日+岩波をよばない:その関係者を集会によばないこと、など。

 
1.

 2010年08月10日の「眼光紙背」で、佐藤優が「日韓併合100年に関する菅直人首相談話」について、吐き気を催すような帝国主義的言辞を書き連ねています(そもそも、「談話」に反対する極右を、菅直人が民主党から追放しない限り=言葉を行動として示さない限り、まったく信用に値しませんが)。

追加的謝罪はまったくしていない」ことを「評価する」・・・

「日韓併合条約が発効した1910年は、帝国主義の時代だった。当時の日本の行為を現在の基準で断罪することは、歴史に対する冒涜だ」

「[当時の韓国の人々の意に反して行われた植民地支配という]評価については、異論がある。大韓帝国にも日韓併合を望んだ政治エリートがいたからだ」

「日韓併合条約の効力について、韓国は当初から無効であったと主張しているが、日本は当時の基準では有効という立場だ。今回、日韓併合条約の評価について、日本側が政治主導で不必要な譲歩をするのではないかと筆者は危惧していたが、それはなかった」

さらに、傲慢にも「旧宗主国の度量として、現時点での韓国側の立場に配慮」をせよと言い放つ佐藤優(※)。―いうまでもなく、「度量」とは、優位な立場に立ったもののいい方である。

 (※)
【佐藤優の眼光紙背】日韓併合100年に関する菅直人首相談話
http://news.livedoor.com/article/detail/4938861/

 佐藤優のような立場は、本来「議論の対象」ではなく「糾弾・排撃の対象」です。
 「併合条約は元来不義不当なものであったという意味において、当初よりnull and void[=無効]であるとする韓国側の解釈が共通に受け入れられるべきである」という内容の声明(※)に名を連ねている「知識人」(連中については「読書人」と言い換えたいが)・岡本厚(『世界』編集長)、佐高信 (『週刊金曜日』発行人)、あるいは和田春樹教授は、これを機に、佐藤優と一切手を切るのでしょうか?

(※)
「韓国併合」100年 日韓知識人共同声明
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2010/07/105.html

↑どうして、朝鮮共和国の知識人が外されているのか?和田春樹ならコネクションもあるはずなのに。これでは《韓国にだけ謝罪し、朝鮮共和国には謝罪しない》のと同じではないのか?


2.

 「旧宗主国の度量」なる言説について再度言及しますが、『金曜日』と関係の深い青木理も、ほとんど同じことを言っています。
 デヴィ夫人のブログ(※)に『レコンキスタ』第358号の記事が転載されていますが、青木は右翼を前に、このように言っています。

(※)
レコンキスタより 3/3
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10247799978.html

「僕の父は植民地支配下の韓国で幼少期を過ごしました。祖父が農水省の役人で、韓国南部の港町、麗水(ヨス)というところの水産研究所に勤務していたためです。その父が私の韓国駐在中、幼い頃を過ごした研究所や官舎を見たいと言い出し、一緒に現地まで行ったことがあります。」

「僕も日朝の国交正常化は早期に成し遂げるべきだと思いますし、幣会の木村代表も「戦略的思考としての日朝国交樹立」という優れた論文を寄稿されてましたが、この特集の中で『月刊日本』の山浦嘉久論説委員が「旧宗主国としての覚醒を」という記事を書いています。僕はこの「旧宗主国」という観点に加えて、「大国としての覚醒」と付け加えたいと思います。


 (罪責ではなく)「大国としての覚醒」であれば、ニッポン帝国市民としてのプライドと、「リベラル」市民としてのプライドが両立できると思っているのでしょう。 
  厚顔無恥な植民者2世・青木理―社民党・照屋寛徳も、厚顔無恥な植民者2世だが―
 佐藤優の汚職を擁護する、「国策捜査」キャンペーンの中心的ジャーナリストでもあるのが、青木理。
 青木は(前掲記事で)こう言う―おそらく、自身でもこれを「良心」だと思い込んで。


「現在も朝鮮半島から見れば、日本は間違いなく強大な「大国」です。周辺を取り囲む「周辺四大国」の一つなのです。そして、かつて半島を植民支配した「大国」に暮らす我々は、半島の地に暮らす人たち -僕の友人や知人はもちろんですが-に、二度と凄惨な厄災をもたらせないよう必死で知恵を絞り、真摯に振る舞う責務があるのではないでしょうか。」


 「二度と凄惨な厄災をもたらせないよう必死で知恵を絞り、真摯に振る舞う責務」と言っているので、一見過去を反省しているように読めるでしょう。
 しかし、よく読んでみましょう。
 青木がここで言うところの「必死で知恵を絞」る主体とは、あくまでも「大国としての覚醒」を矜持としてもつ日本人のことなのです。
 ふざけるな!「知恵を絞」るのは、朝鮮人民のすることだ!右翼とも共有できる価値観を唱えていれば、青木は安心立命できるのだろうが。  
 つまり、青木は《大国日本は、気の毒な朝鮮を後見する責務がある》といっているのです。

 そういえば、かつて「白人の責務」という言辞がありました。
 実際のところ青木は、植民地主義者の意識と全く同じなのです(※)。

(※)「北朝鮮と対話・交流を続けながら、できるだけ穏やかに改革・開放とへと導き、最終的には何としても軟着陸させたい」というのも―いかに“平和主義的に”に聞こえても―、根本的にはそれと同じです(「導く」主体が日本人なのだから)。


3.

  「日本人」としてのプライドは朝鮮、中国を前に打ち砕かれる必要があるということを、素直に受容しない人間は、今度一切、朝鮮、中国には、指一本でも関わってはいけないのです。
  ニッポン帝国市民としてのプライドと、「リベラル」市民としてのプライドを両立させようとする「知識人」が今後ますますのさばってくるでしょうから、警戒が必要です。


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